⚫️人口減少は自然現象
今年も残すところ3ヶ月を切りました。そろそろ頭の片隅に年末年始という言葉がよぎる頃でしょうか。
ここ最近、有名人の方の訃報をきく機会が多く、人の体というのは突き詰めるとやはり自然の一部なんだということに気付かされます。
意識と無意識という二項対立を使うならば、人が生まれ育つに従い意識が肥大化し、老いて死にゆく過程において無意識に還る準備をしていくというところでしょうか。
つまるところ人間の本質が無意識たる自然であるならば、秩序だった集合である日本人もまた自然なわけで、その意味で人口の増加や減少といったものの本質も自然現象ということなのかなと思う次第です。
⚫️これからの日本は基本下り坂
日本人という集団のピークは80年代後半〜90年代初頭まで、いわゆるバブルの時期にあたります。
あのときの日本の空気感というのは、物質的な一つのピークを満喫しながら、また次に更なるピークがくるであろうという至極ポジティブな感覚であったろうと思います。
ところが実際にはバブルというピークは戦後の日本経済のピークそのものであり、バブル崩壊とともに長い下り坂がはじまったわけです。
経済というのは人口動態を基盤とした取引の循環の総体であり、金融におけるテクノロジーは、未来のその循環の総体を現在の利益として取り込むことに他ならず、その意味でバブルというピークの後、10年程度で日本の人口が頭打ちになったというのも、うなづける話です。
バブル崩壊後、世界的な景気後退や経済危機の合間に、小泉改革やらアベノミクスやら再び日本経済を上昇させようという国家的な試みがなされましたが、結局は経済の基盤たる人口が減っていく中ではそういった試みは一時的なカンフル剤でしかなく、切れたときに、その分激しい景気後退を伴うだけでした。
つまり、これからの人口減少し続ける日本経済は長期的に下り坂であり、人口減少の加速に伴い下り坂の傾斜もきつくなるわけです。
誤解のないよう捕捉すると、小泉改革やアベノミクスといった試みは、総論としてはすべきアプローチだと思います。
座して死を待つなんて、経済の論理からすれば思考の放棄ですから。
⚫️ 人口減少という自然現象の歩き方
そんなせつない下り坂を日本人は世界に先立ち歩いていくわけですが、
その歩き方に必要なのは、
衰退を均していく方向性
であろうと思うわけです。
幸いに、というか、上り坂のときは目の前のピーク目指して突き進むだけだったものが、下り坂になるとこれくらい先にはこれくらい衰退してるっすね、という見通しがこれはもうかなり具体的に見渡せます。
その見通しを踏まえて、今できることを少しずつやっていくしか、ないんだろうと思います。
具体的には、贅沢を日常としないことはもちろん、今の生活の質を可能な限り落としていく、その上でできた余力を、古今東西世界中の人が価値あるものとするものに換えていく。その積み重ねだと思います。
古今東西世界中で価値あるものならば、日本が下り坂になり世界でのプレゼンスが落ちるほど、日本の中では有用な資産になるでしょうから。
突き詰めるとETFの世界株式市場、ドルやユーロ、固めにみるなら金や銀あたりでしょうかね。
プラチナは日本人が異様に重宝してる向きもあり、世界的に通用するかは少し疑問ですね。
それでも、どうしようもなくなったら不要に抗わずに時代の流れに身を任せ流転すればいいのかと。
どんな人生観や宗教観であろうとも、最後はその先に小さな芽があると信じる者が救われるんじゃないのかな。