帰りの電車で軽めの更新です。
週末に雑談の中で妻から、東尾リコさんの教育論?的な話をききました。
ざっくりいうと、親として敷いてあげるレールは逆算すべき、という内容。
この大学に入るためにはこれくらいの高校。その高校に入るためには…みたいな。
場当たり的なママさんトークに流されないためにも大事ですよね。
確かにそれは一理あると思いつつ、妻の話をききながらちょっと違うこと考えてしまいました。
今日はそれを書きますね。
そもそも今の教育、特に高校までのカリキュラムって、今の時代にあってるんでしょうか。
僕のイメージですが、教育のカリキュラムって、時代の変化ありきでその変化をタイムリーに追いかけるのではなく、過去からの連続性を重視して、過去を否定しない範囲での改定を加えることで時代をそれとなく追いかけてるだけのような気がします。
そんな教育を受けた子たちが、社会の前線に立つのはいつでしょう。
何年も先ですよね。どんどん時代の流れは早くなってるのに、その何年も先なんです。
教育のカリキュラムと現実の社会には大きな大きなギャップがあることを身体で分かってない子供たちは、社会の荒波に飛び込んだときにきっとびっくりするでしょう。
つまり、今の子供たちが社会の前線にたったとき、「やっぱガッコの勉強しといてよかったーー」ってあんまり思わない気がするんです。
もちろん、教育のすべてに速効性が必要な訳ではありません。
普遍の真理に近い教養ほど、時代がどう動こうと変わりません。そういった教養は人間形成において大事でしょう。
問題は、カリキュラムに従わざるを得ない公的な教養と、時代に合わせて食べてくのに必要な能力とのギャップが日に日に大きくなってるのに、埋めるための手当を意識的にしないことにあるんだと思います。
日々忙しいガッコの先生にそこまでケアしてもらうのは現実的ではありません。各自家庭で手当しましょうねって話です。
なので、僕としては、
•教育のカリキュラムと現実の社会とのギャップがすごくある、という自覚を子供に与えること
•どうやって自分の力でそのギャップを縮めてくのか、子供にその力をつけさせること
ってのも大事だよなーってぼんやり考えたのです。
今後、人口減少社会という下り坂に直面していく今の子供たちに、上り坂のイロハを教えるのも教育の一つとしてはありです。
ですが、僕としては大人も未経験な下り坂の歩き方を自分の力で身につけて欲しいなと。
その方が、大人の敷いたレールに乗るにせよ、オリジナルな人生を歩むにせよ、より人生を楽しめると思うから。
おしまい。