なんとなく夜中の公園で地べたに座り、夜空を見上げながら気づいたことが珍しくくっきりと繋がったので忘れないうちに書いておきます。
普段の生活で、当たり前のように使う一人称。僕、私、のことですね。
これを使う時、自分を指していることに疑いようはありません。
では、指している自分とは何か。
肉体の中にある自我なのか、それとも、たまたまその肉体の中にあり自我と一体になって埋没しているものなのか。
後者は魂と呼ばれるもの。
魂は、自分が意識を持ち社会生活を営んだいる間は無意識の中に埋没し言語を持たずひっそりと過ごし、その肉体が寿命を全うしたときにその肉体から抜け、本来の姿になるもの。
人が欲を持ち、社会のルールの中でその欲求を際限なく満たし続けようとするのは、一人称である、私、僕が、肉体の中にある自我のみを指しているから。
もし、魂の存在が立証され、その存在が浸透し、人が今の肉体とその中にある自我にこだわる必要がなくなったとき、つまり一人称が魂そのものを指すようになったとき、自分も含めて人は過剰な欲望から解放され、次のステップに進むのだろう。
次のステップに進むとどうなるか。
肉体が不要になるのか、別の天体から手が差し伸べられるのか、肉体を持ちながら真理に到達するのか、いずれにしても、現世と比べれば地獄と天国くらいの開きがあるんだろう。