人口減少社会の行き着く先

「人口減少社会」の在野の研究者。「人口減少社会」の行き着く先を探してます。大磯に山林所有。

年末


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久しぶりの更新です。気づくと今年も残り一週間。歳を重ねるごとに、時間が経つのが早くなる。


今年もいろいろありました。山林開拓は暑くなり始めてからめっきりでしたが、また少しずつ再開していきたいと思います。


来年はどんな年になるのか。日本の人口減少が徐々に速度を上げていく中で、景気はアメリカから後退してくるでしょう。そろそろ大きな引き潮がまた音を立ててやって来るかもしれません。


ただ、何があっても地に足をつけてやるべきことをやっていく。来年はそんな年にしていきたいです。

気づきと繋がり

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なんとなく夜中の公園で地べたに座り、夜空を見上げながら気づいたことが珍しくくっきりと繋がったので忘れないうちに書いておきます。


普段の生活で、当たり前のように使う一人称。僕、私、のことですね。

これを使う時、自分を指していることに疑いようはありません。

では、指している自分とは何か。

肉体の中にある自我なのか、それとも、たまたまその肉体の中にあり自我と一体になって埋没しているものなのか。


後者は魂と呼ばれるもの。


魂は、自分が意識を持ち社会生活を営んだいる間は無意識の中に埋没し言語を持たずひっそりと過ごし、その肉体が寿命を全うしたときにその肉体から抜け、本来の姿になるもの。


人が欲を持ち、社会のルールの中でその欲求を際限なく満たし続けようとするのは、一人称である、私、僕が、肉体の中にある自我のみを指しているから。


もし、魂の存在が立証され、その存在が浸透し、人が今の肉体とその中にある自我にこだわる必要がなくなったとき、つまり一人称が魂そのものを指すようになったとき、自分も含めて人は過剰な欲望から解放され、次のステップに進むのだろう。


次のステップに進むとどうなるか。

肉体が不要になるのか、別の天体から手が差し伸べられるのか、肉体を持ちながら真理に到達するのか、いずれにしても、現世と比べれば地獄と天国くらいの開きがあるんだろう。





大磯の山林について

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せっかくの週末、桜も見頃ですがあいにくの天気。


以前ブログやツイッターに書いた山林を一つお譲りする件、先ほど不動産屋さん立会いのもと、正式にお申し込みをもらいました。


ですので、一旦お申し込みはストップします。今後についてはまた別記事に書きますね。

むくむく

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ゆったりくつろいでいると、ときたまむくむくと脈絡もなく疑問が沸き起こる。


むくむくしてるときは、疲労が回復し、体がリラックスしてる証拠。


むくむくにもいろいろあって、輪廻や宇宙みたいな途方も無いものから、なんで自分はこんなに豚骨ラーメンが好きなんだろうみたいなしょうもないものまであって、むくむくの大半はしょうもないものだったりする。


むくむくに答えはなく、むしろぼんやりとした考えが形を変え移ろいで行くその過程を楽しんでいる。


山林開拓ですが、今日は車が止まれるスペースのたたき台を作りました。自分のペースで少しずつ。


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