人口減少社会の行き着く先

「人口減少社会」の在野の研究者。「人口減少社会」の行き着く先を探してます。大磯に山林所有。

日本経済の将来はやっぱり暗いという話

 

久しぶりの更新です。

 

ここ3週間ほど、平日は仕事一辺倒、週末は友人の結婚式やらなんやらで外出が多く、まとまった時間がとれませんでした。

やっと時間がとれたので、ここ2~3週間でぼんやり考えていたことを書いていきます。

 

〔日本経済の将来はやっぱり暗いっす〕

 

あくまで「経済」という切り口でみたとき、日本の将来はやっぱり暗いなと感じます。

 

平塚の駅前なんかすごいですよ。

 

駅から歩いて1,2分くらいの商業ビルに「テナント募集」の案内がバンバンでてます。

 

営業してるんだかよく分からない個人商店もたくさんありますし、平塚駅前の不動産を需要に見合ったモノホンの評価で値付したら、ぶっちゃけ今の売出価格、あるいは募集価格の2~3割の下落じゃすまないでしょうね。

 

だって、そもそも見合う需要がもうないんですもん。

なぜ需要がないかって?このブログのタイトル通り、「人口減少社会」だからです。

 

例えるなら、book-offによくある100円の古本と一緒。

 

新品でまっさらな本を売りに出すとき、価格は 数百円~数千円しますよね。

本屋なり作家なりが食っていくためには、それくらいの価格になるわけです。

でも、古本になると、価格なんか需要の多寡で決まってしまいます。

一昔前のベストセラーなんてリセールマーケットに流れまくりなのに、(すでに読んでる人が多くて)読みたい人がそんなに多いわけではないから、100円なんてただみたいな値段で店頭に並ぶわけです。

 

誤解のないように言っておきますが、100円の本だからといって誰にとっても、ほとんど価値がないというわけではないです。

 

僕はbookoffで100円の本をよく買います。というかbookoffではほぼ100円の本しか買いません。100円でも、中には自分の思考の血肉になるような本だってあるわけです。個人的には3千円だしたっていいくらい、評価の高い本もあります。

 

そんな本でも、リセールマーケットの評価は100円なのです。

 

需要が少ないと、マーケットでの評価はとても残酷になるわけで。

 

平塚の駅前不動産は、これから数十年かけ、何回か持ち主をかえ、徐々に需要に見合った本来の評価になっていくでしょう。

 

バブルで溢れんばかりに作られたスキー場のリゾートマンションのように、数十万円~数百万円で平塚の駅前不動産が買えてしまう日がくるのではないか、僕はそう思うのです。

 

 

 

〔てことは日本円の将来も暗いです〕

超極端な話をします。日本の人口が1000人しかいなかったら、日本円が今の価値を保つことは不可能です。

 

世界に1000人しか使う人のいない通貨なんて、普通はマニアなコレクターしか欲しがらないでしょう。

 

超極端な例ですが、日本は間違いなくこの方向に進んでいます。

 

世界的に人口が増える中、日本円を生活に使う人が減り続けているのです。

 

難しい理屈は抜きにしても、日本円には中長期的に強い下落圧力が加わっていると思えませんか。

 

2035年あたりでは、今の感覚でいうと1ドル 200円くらいにはなってるんでしょうね。さしたる計算根拠はありませんが。

 

 

〔やっぱり価値観の転換が必要になる〕

「金銭的に豊かである」ことと「幸せである」ことはイコールではありませんが、「金銭的に豊かである」ことで生活の選択肢が増えるのは事実です。

 

ところがこれからの日本では「金銭的に豊かである」ことは、今以上に難しくなっていくことでしょう。

 

そうすると、世界的なマーケットで高く評価されるモノはますます手に入りづらくなります。

 

ただ一つポジティブな話をするならば、bookoffの100円の古本のように、「世間的には、需給バランスからみてまるで評価されない」からタダ同然の値段で売りに出されているけど、「自分にとってはすんごく価値の高いもの」にめぐり合える確率は、今よりぐんと増すでしょう。

 

世間的な評価だけにとらわれず、自分にとって欲しいもの・必要なものがはっきりしている人にとっては、日本の将来はある意味楽しみかも知れませんね。

 

今日はこんなところで。

 

 

おしまい

近況の報告と今後の方向性

 

2週間近くブログ更新が滞ってしまいました。

 

前回記事の詳細 → 心境面の変化 → 今後の方向性という流れで書いていきます。

 

[前回記事の詳細 ~イケダハヤトさんとのやり取り]

前回記事で思わせぶりなこと書きました。

ブログをリニューアルオープンします - たくみ じゅんの楽しく生きよう人口減少社会!

 

これ、実はイケダハヤトさんとのやり取りです。

 

イケダハヤトさんに唐突にも、このブログのコンセプトを伝えたうえで、ダメだししてくださいという無茶なメールをしたところ、速攻で実に丁寧なアドバイスをいただきました。

 

良い人すぎます。イケダハヤトさん。

ありがとうございました。これからもどんどん炎上してください。

僕はどんな状況でもイケダハヤトさんのファンです。

 

で、アドバイスを元に、このブログをより分かりやすくリニューアルしようというのが、前回記事の段階で僕が考えていたことです。

 

 

このはてなブログは、下記二つを話題の軸にしていきます。

  1.  人口減少社会に関する記事のまとめ

  2.   個人台頭の時代に関する記事のまとめ

畑でなんちゃって自給自足はしばらくやらない方向です。。やるっていっててやらずに、すみません。

 

できればこれからも生温かく見守ってもらえるとありがたいです。

 

おしまい。

 

ブログをリニューアルオープンします

今日はとても嬉しいことがありました。


心の中で勝手に師匠と呼ばせてもらってる方にメールをしたら、なんと返信がもらえたという笑


いや、憧れの人から反応してもらえるって嬉しいですよね^_^


その方はブログ界の大御所です。


とても為になるアドバイスをいただけたので、今週末を目処にブログをリニューアルオープンしたいと思います!


ただいま24時、帰りの電車の中でニヤニヤしてます笑



中国や新興国の経済が危ないけどだからどうしたという話と、幸せの方程式


ここ数日、中国の経済危機懸念やら米国の緩和縮小による新興国の下ブレやら、暗めのニュースがきこえてきます。


テレビでは学者や評論家がしたり顔で語ってるんでしょうね。


テレビは年末の笑っちゃいけないくらいしかみないので推測ですが。


そもそも経済は人ありき、そして地球に70億以上の人間が生きている。

それこそがグローバル経済の土台なわけで。



そこから思考を展開すれば危機だの不況だので一喜一憂する必要ないのでは。


景気の波が生活にまるで無関係とは言いませんが、少なくとも中国や新興国は生産年齢人口の切り口でみてもポテンシャルがあるんだから、長い目でみて気にする必要ないんじゃないかと思うんです。


と、軽口叩けるのはあくまで人口動態が安定している国の話。


日本は2013年の貿易収支が過去最大の11兆の赤字となりましたが、これは長期的なトレンドですからね。。


所得収支がまだまだ黒字だから当面大丈夫と思いますが、生産年齢人口はもちろん、人口そのものが減少する日本はまぁ総体として貧しくなっていくんでしょうね。


総体として萎む風船となる日本。でもよくよく見ると、ごく一部の人たちが富み続ける一方で、中流以下が地盤沈下をしていくことに。


僕個人は貧しくても全然オッケイですけどね。


貧しい生活は、日常の喜びを増やしてくれるのを、経験的に知っていますから。


幸せの閾値が低いから、ちょっとしたことで嬉しくなれるんですよね。


よその目を気にすると惨めですけど、そもそもよそは人の家にそこまで興味ないわけで笑


開き直ったら勝ちという話。


そうそう、とある本で幸せの方程式というのを知りました。


幸せ=財産 / 欲望


カオハガンていう島に暮らす人のほんだったかな。


この方程式、すごく気に入ってます。


シンプルだし、きれいですよね。


個人的にいじくるとしたら、


幸せ=(財産/欲望)✖ 笑顔


というところでしょうか。


ではでは今日はこんなところで。


おしまい。


変化はより早く劇的になっている、しかしその風に乗れるのはごく一部

数字みるとちょっと驚きですが、加速する一方でしょう。👇



正しい手順を踏む投資家は長期的にも経済成長率を上回るペースで資産規模を拡大させていきます。


仮に世界経済の成長率がゼロ、もしくはマイナスに転じても、一部の投資家は資産を拡大させていくでしょう。


資本主義経済である限り、貧富の差の拡大は当然の帰結なのです。


いかなる規制を用いても、貧富の差の拡大ペースを鈍化させることしかできません。そして、これからはその規制の効果も、ますます弱くなっていくでしょう。


そして、一定の資産規模に到達した投資家は、その運用スタイルを、保全主体に切り替えることで、労せずに資産は更に健全に成長していくのです。


ここから一般論に入ります。

この、一定の到達点に達したあとは大した苦労もせずにポジティブなサイクルが続くという現象は、投資に関わらず、他の分野でも当てはまります。


例えばウェブに関する分野もそうでしょう。

便利なツールはどんどん一般化し利用しやすくなりますが、そのツールが一般化した時点で、すでに次の技術への対応ができる人たちが一部存在します。


そういう限られた、風に乗れた人たちが新たな地平線を切り開きながら、パイオニアメリットを得ていくのです。


風に乗れない大部分の人たちは、その風を感じて、便利だね、気持ちいいね、と感情面での反応を示すに留まります。


現実的には、その時点で風に乗れてない人が、風に乗っている先頭集団に躍り出ることができるのは、若さと才能と運に恵まれた極めて稀なケースです。

つまり、風に乗れてない人が感情面での反応だけをするのは、極めて現実的な対応ということになります。


しかし、その極めて稀なケースをもって、努力すれば誰でも風に乗れるという論調が世間では一人歩きをするわけです。


こういった世間の論調に同調し、パイオニアや成功者のノウハウを資力労力かけて修得しても、大半の方はせいぜい小さな成功体験くらいしか得られないのが現実なのです。


こうして、形式的には極めてフェアな体裁を整えて、富むものはますます裕福に、フロンティアの開拓者たるパイオニアはその地位をますます堅固にしていくのです。


人間の能力に大差はないけれど、その境遇に天と地ほどの差がでるのはここに理由があります。


おしまい。


あらためて思う、「足るを知る」ということの大切さ

 

突然ですが、「足るを知る」って大事ですよね。

 

僕もそうだし、多くの人もそうだと思いますが、今手元にあるものの価値を感じずに欲しいものばかりに目がいってしまうことがよくあります。

 

今手元にあるものが無価値なのではなく、慣れてしまって価値を感じなくなってしまってるだけなのに。

 

 

上をみればきりがないし、そういう思考パターンだと上にいってもまたその上が欲しくなる。

 

欲しい対象が変わるだけで、やってることは同じ。

 

欲しい→手に入れて満足→飽きる→また欲しい→以下・・・と同じところをくるくる回るだけ。

 

そのくせ、手元からなくなるとその価値に気付くんです。

 

 

断っておきますが、そういう思考は元々誰にでも備わってますし、そもそも欲しいと思う「欲望」こそ、資本主義の成長エンジンです。

 

つまり、今この便利な生活があるのは、この「欲望」とそれを叶える人がいるから成り立つ話。

 

だから「欲望」を否定する気はありません。

 

ただ、自戒の念も込め、少しバランスを意識したらという話です。

 

たまには今手元にあるものの価値を味わおうという。

 

そして、この手元にあるものの価値を味わい、満足することが、「足るを知る」ということ。

 

「足るを知る」ことで、今このときすでに幸せなのだと気づくことができると思うのです。

 

競争に勝つ、困難を乗り越える、成長を続ける、そういったことで得られる満足や幸福感を否定はしないけど、そんなのは幸せの一要素に過ぎないわけで。

 

幸せの一要素に過ぎない勝ち負けが人生の勝ち負けに直結してる人が最近多いんじゃないかな。

 

だからバランス。

 

今立ってる足元をみて、原点に立ち返って、そこで一度「足るを知る」。

 

そこから踏み出せば、今の幸せを感じつつ、大抵の失敗や挫折は笑って乗り越えられるようになると思う。

 

おしまい。

これからの子供にとって大事なことは?

帰りの電車で軽めの更新です。


週末に雑談の中で妻から、東尾リコさんの教育論?的な話をききました。


ざっくりいうと、親として敷いてあげるレールは逆算すべき、という内容。


この大学に入るためにはこれくらいの高校。その高校に入るためには…みたいな。

場当たり的なママさんトークに流されないためにも大事ですよね。


確かにそれは一理あると思いつつ、妻の話をききながらちょっと違うこと考えてしまいました。


今日はそれを書きますね。


そもそも今の教育、特に高校までのカリキュラムって、今の時代にあってるんでしょうか。


僕のイメージですが、教育のカリキュラムって、時代の変化ありきでその変化をタイムリーに追いかけるのではなく、過去からの連続性を重視して、過去を否定しない範囲での改定を加えることで時代をそれとなく追いかけてるだけのような気がします。


そんな教育を受けた子たちが、社会の前線に立つのはいつでしょう。


何年も先ですよね。どんどん時代の流れは早くなってるのに、その何年も先なんです。


教育のカリキュラムと現実の社会には大きな大きなギャップがあることを身体で分かってない子供たちは、社会の荒波に飛び込んだときにきっとびっくりするでしょう。


つまり、今の子供たちが社会の前線にたったとき、「やっぱガッコの勉強しといてよかったーー」ってあんまり思わない気がするんです。


もちろん、教育のすべてに速効性が必要な訳ではありません。


普遍の真理に近い教養ほど、時代がどう動こうと変わりません。そういった教養は人間形成において大事でしょう。


問題は、カリキュラムに従わざるを得ない公的な教養と、時代に合わせて食べてくのに必要な能力とのギャップが日に日に大きくなってるのに、埋めるための手当を意識的にしないことにあるんだと思います。


日々忙しいガッコの先生にそこまでケアしてもらうのは現実的ではありません。各自家庭で手当しましょうねって話です。


なので、僕としては、

•教育のカリキュラムと現実の社会とのギャップがすごくある、という自覚を子供に与えること

•どうやって自分の力でそのギャップを縮めてくのか、子供にその力をつけさせること


ってのも大事だよなーってぼんやり考えたのです。


今後、人口減少社会という下り坂に直面していく今の子供たちに、上り坂のイロハを教えるのも教育の一つとしてはありです。

ですが、僕としては大人も未経験な下り坂の歩き方を自分の力で身につけて欲しいなと。


その方が、大人の敷いたレールに乗るにせよ、オリジナルな人生を歩むにせよ、より人生を楽しめると思うから。


おしまい。