人口減少社会の行き着く先

「人口減少社会」の在野の研究者。「人口減少社会」の行き着く先を探してます。大磯に山林所有。

100時間残業

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1月の残業時間は約100時間、さすがに少し疲れました。といいながら帰りの電車で来週のプレゼン資料の準備をしています。


大学卒業後一貫して同じ会社の同じ部署にいて、仕事は嫌いではないですが、気づくと週単位で時間のすぎる日々はたまに少し虚しく感じます。


この生活から降りるにはリタイアできるだけの財産を持ち、市場から安定的な不労所得を得ることが必要ですが、仕事を辞めるだけの財力があるわけもなく。


全てを投げてBライフ生活にまで振り切れれば迷わないのかもしれませんね。







見渡せる距離

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日常の仕事は関係者との調整やパソコンでの作業が主ですので、どうしても目の前にピントを合わせることになります。


たまに登る山や海岸沿いの散歩中にいつも思うのは、人が本来見渡せるものの距離。


富士山を登れば日本の海岸線が見渡せるし、海岸線に目を転じれば伊豆七島の大島まで見えます。


いずれも大体数百キロの世界です。


見上げれば見える月、写真に写ってる太陽、夜空に広がる星、全て他の天体ですから、数字にしても実感の湧かない世界まで実際には見えているわけです。


日常生活で考えている以上に、本来の私たちは遠くまで見渡せるのかも知れませんね。

今年の仕事もこれで終わり

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今年の仕事も今日で終わりです。会社としての仕事納めは昨日でしたが、心残りがあり1人だけ出社してました。


写真はオフィスから見えた夕日です。


ここ数日、通勤電車から見える風景をみながらぼんやりと考えることがあります。線路沿いにまでひしめくビルなどの建物は、100年後には一体どうなっているのかと。


使う人はいない、修繕もされない、壊すこともできない、では余りにも悲惨ですが、人が使うことのためだけにコンクリートといった人工的な素材で建てられたビルなどは、多くがそのまま放置されて朽ちていくのかも知れませんね。


せめて素材が木材であれば、使わなくなったら再利用もできるのではないかと。


そんな、本来なら当たり前に浮かぶはずの違和感が、ようやく脳裏にちらつく年末です。


これからくる景気後退と加速する人口減少

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ほぼ一年ぶりの更新です。この一年間、日頃の仕事を含んだ日常生活では多方面で進展があったものの、いや、むしろそのためか、山林開拓については何も進みませんでした。。


日頃の仕事に余裕ができれば、先を見据えた行動が増え、それがこの山林開拓ともつながってくるはずなのですが、目下のところその兆しは見えません。


せめてブログの更新からまた再開しようかと思います。


丁度一年前の今日書いたブログを読み直すと、景気後退はアメリカからやってくると書いてありますね。


http://takumi-jun.hatenablog.com/entry/2017/12/25/231009


今まさに、アメリカでFRBのバランスシート縮小と利上げに伴う株価下落が起きていて、その株価下落によりアメリカの経済指標はこれから音を立てて崩れていくところです。今日の日経平均も約千円の下落と、アメリカ依存の日本にも景気後退の波がこれから本格的に襲ってくるのは間違いないでしょう。


翻って、約5年前に始めたこのブログですが、開始した時の日本の人口の年間での自然減少は30万人に届かなかったのに、2018年の今年、人口の自然減少は約45万人となっています。


加速する人口減少という引き潮に、世界レベルの景気後退、、下り坂の経済では辛い景色も見通しが良くなります。どんなときでも、先を見据えつつ、地に足をつけて、できることを地道にこなしていきたいですね。







里山

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本日も山林開拓をしてきました。今は虫もいないので、草刈りが進みやすいです。


大磯駅から歩いて15分ほどにありますが、人が踏み入った形跡はあまりなく、道らしきものはあらかた猪の獣道。

春先までにある程度敷地内を歩けるようにしたいと思います。


自分の敷地は小さな山の南斜面にあり、大磯の街と海を見下ろす位置にあります。街からの距離的にも、里山の一部といっていいと思います。


湘南平を取り囲むこのあたりの里山の広さはあわせると76haほどあるらしく、あらかた私有林のはずですが、山道近くの場所を除くと手入れをされているようにはあまり見えません。


日本全国に似たような状況の山林がたくさんあるのかと思うと、勿体無いような気がしてきますね。





不思議な体験


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世の中には超常現象といった説明のつかない不思議なことがあると言われます。


個人的にはそういうことはあり得ると思っています。


単純な話、全ての物事を今わかってることで説明し尽くせるというのは、さすがにちょっと傲慢な気がするからです。


仮にそういう出来事に遭遇しても、恐怖はあまりなく、むしろ別の世界があることの立証ができる分、知識欲を満たしてくれるのではないかと。


振り返ってみると、僕自身に4つほどそういう経験がありました。なぜそれを書く気になったかというと、4つめの体験を昨日したからです。


順番に書いていきます。


1つめ、子供の頃でした。亡くなった祖父から家に電話があり、僕が受話器をとりました。娘である僕の母の名を二回呼んで切れた謎の電話でしたが、受話器越しにそれが祖父からのものだと直感で理解しました。念のため、親戚に親経由で確認してもらいましたが、当然そのような電話をした人はいませんでした。死後時間が経っていたのに、なぜあのタイミングだったのかは今もわかりません。

ちなみに、祖父は僕の名付け親です。祖父は、僕に名前をつけるとき、僕の今の名前とじゅんという名前の二択で迷っていたとのことだったので、このブログではじゅんと名乗っています。さらに言うと、僕の息子は祖父の漢字を一つもらっています。


2つめ、高校生の頃。父と弟と三人で同じ部屋にいるとき、突然、本当に突然、僕の名前を呼ぶ声がはっきりと聞こえました。弟も聞こえており、弟も僕も父を見ましたが、父は何も言っていないしそんな声も聞こえなかったとポカンとしていました。その声が誰の声なのかは弟も僕も未だに分かりません。


3つめ、社会人生活にも慣れた10年近く前、父が急に亡くなり、離婚し1人になった父の家の片付けを、兄弟でしている最中でした。

兄と弟は食事の調達に出かけ、父の家に1人で残った僕は、感傷的になり誰もいないところで父に語りかけたのです。ありがとうという感謝の気持ち。そこから覚えているのは、背中に寒気が走り、部屋の電気が消えたと思ったらまた光り、その後も何回か点滅を繰り返したこと。父からのメッセージでした。近親者が死ぬと、親しい人にメッセージが届くことがある。話には聞いた事がありましたが、現実にあるんだと確信した瞬間でした。


四つめ、昨日のことです。と、ここまで書いておいて今更気づいたのですが、文字にできるだけの整理ができてなくて、、すみませんが、四つめについてはまたそのうちの記載とさせてください。。これについても、家族の間で起きていることです。



普段は社会のルールの中で複数の役割を果たすことに精一杯の日々で、ひょっとしたら似たようなことは他にもたくさん起きているのかも知れません。目先の優先順位は明確な中で、不思議なことに常に気をとられるわけにもいきませんが、どんなに仕事に追われても、たまに少し立ち止まり、空を見て、星を見て、海を見て、きれいだなと思う位の感性は持ち続けたいものです。