河川敷で見つけた使ってみたい土地
先日の河川敷散歩でみつけた私有地・遊休地の所有者にどうアクセスするか思案中です。
見つけた土地はマピオンで検索しても住所がでてこないので、所有者がいるかも怪しい。。
住所が分からないので、法務局から謄本を取り寄せることもできません。
ただ、その土地の周りには畑が広がっていて、この前散歩してるときに持ち主らしいおばあさんをお見かけしました。ひょっとしたらその周りの畑耕してる人が所有者かも知れません。
ということで次の週末はまた現場にいっておばあさんに話しかけてみます。結果は乞うご期待。
そうだ。
肝心の画像を添付し忘れてました。
こちらです。↓
どうでしょう。
ぱっと見た感じ、分かりづらいかも知れませんので、マーカーで囲ってみます。
いかがでしょうか。
見るからに、何をするにも使いづらそうな土地ですよね。
河川敷とはいえ、周辺はそれなりに整った四角形の畑が広がっているのです。
にも関わらず、この一角だけ草ぼうぼうで人が手入れしている形跡がまるでありません。
それでもいいのです。
ここで実践ができれば。
家庭菜園関係の本を読むと、農家の方は土地を貸すのに警戒されるとのこと。
そりゃそうですよね。
とりあえず、ラフな感じでおばあさんに話しかけ、もしおばあさんの土地であれば草狩りをするので少し貸してもらえませんか?
ときいてみるつもりです。
早速今週末に実行です。
そもそもダメ元なので、散歩がてら、他に見つけた同じような土地についても同じアクションをしてみます。
今日はこんなところで。
おしまい。
あらためて感じたグローバル資本主義の凄さと怖さ
ここ最近、ものの本を読みアカデミックな理屈をうんうん唸って考えるのではなく、力不足を謙虚に認め、地に足をつけ歩き回ることで、心底実感したことが2つあります。
人によっては当たり前!と思うことかも知れませんが、今日はその実感について書きます。
① グローバル資本主義ってやっぱり凄い!
一つ目は、グローバル資本主義ってやっぱ凄い!ということです。
例えば、スターバックスに入ります。
僕がよく頼むドリップコーヒーのTallは340円。
決して安くはありません。
しかし、店内を見渡せば、落ち着きのある色彩で統一されており、リラックスできる音楽がほどよい音量で流れています。
上手くソファに座れれば、そのまま一人でいつまでいてもまるで気になりません。僕の経験に関していえば、態度の悪い店員に出会ったこともありません。
みんな、笑顔で(見た目は)楽しそうに仕事をしています。
クオリティは少し落ちるかもしれませんが、エクセルシオールやドトールも同様です。
慣れていて当たり前になってしまっていますが、消費者として、これらコーヒーチェーン店のサービスを受けたとき、快適に思う要素はあれど、不愉快になる要素は一つとしてないのです。
そして、それが1年365日、日本(あるいは世界)どこでも、消費者は当たり前にそのサービスを受けることができる。
もちろん、コーヒーチェーン店に限りません。
グーグル、アマゾン、アップルなど世界の先頭集団をいく企業をはじめとして、競争に勝ち繁栄する企業は、間違いなくその時代の消費者が求める水準の遥か上のサービスを提供しています。
そういった勝ち続ける企業は、世間から圧倒的な賞賛を浴び、成功モデルとして持てはやされます。
一方で、競争に負けた企業は、その市場から退出するか、企業そのものが消滅していきます。
栄枯盛衰。
今勝ち続けている企業ですら、10年先にどうなっているかはまるで予測つきません。もし消滅していても、10年後の人々はまるで驚きもしないでしょう。
10年前と比べるとよりはっきりしますが、この容赦のない競争原理により、消費者としての僕達の生活は便利になる一方です。
そして、この流れはこれからも続いていくでしょう。
消費者としての立場から、グローバル資本主義の凄さをあらためて実感したのです。
更に加えていうならば、世界有数のホスピタリティ、サービス精神を持つ日本人が、ハイレベルなサービスを提供するのですから、日本の消費者はとてつもなく恵まれています。
② グローバル資本主義ってやっぱり怖い!
2つ目は、グローバル資本主義ってやっぱり怖い、ということです。
平塚駅の駅前商店街にも、コーヒー店、というか喫茶店はいくつかあります。個人的には気にいったお店もあって、スタバやドトールではなく、商店街の喫茶店にいくこともあります。
が、どこも活気がありません。まばらなお客さんしかいない店内に、どこか申し訳なさそうな空気すら漂っているお店もあります。
どこの喫茶店もスタバやドトールといったチェーン店にお客をとられ、マスターやお店からあまり活力が感じられないのです。
スタバやドトールのサービスに勝てず、お客が流れている、つまり商売で負けているように感じます。
グローバル資本主義の思考に馴染んでいる人は、恐らくこういうことでしょう。口にはださなくても、心のなかではつぶやいてるはず。
スタバには勝てないんだから、喫茶店やめて別のお店にすれば?
合理的に考えればそんなことはマスターにだって分かります。それを実行しないのは、人生の一部になったお店を損得感情なんかで整理できないことを分かっているからです。
しかし、このまま時間が経ち、お客さんが入らなければ、否応なくお店を閉めざるを得ないでしょう。
このとき、マスターの心境はどうなのか。体の一部を失ったような気持ちになるのではないでしょうか。
僕が感じるグローバル資本主義の怖さはここにあります。
勝ち負けはしょうがないにしても、負けた人からお金に換算できるものだけでなく、換算できないものも奪っていく。
そして、いうまでもなく、人間にとって本当に大事なのはお金に換算できないものなのです。
マスターの生きがいもそうでしょう。合理的な意思決定ができないものこそ、人間にとって本当に大事なものなのです。
(もちろん、マスターは他に生きがいがあるかも知れません。マスターの気持ちは僕の推測ですが、テーマを浮き彫りにするための一例です)
つまり、グローバル資本主義は負けた人から奪いすぎるのです。それも奪ってはいけない大事なものを。
そして、グローバル資本主義で負ける人というのは、多くの場合労働者です。
労働者としての立場から、グローバル資本主義の怖さには鬼気迫るものを感じるのです。
これから先、人口減少社会が本格化し、労働者の立場がきつくなる日本では、労働者として負けてしまう人も増えていくでしょう。
日本の労働者はこれから本格的にグローバル資本主義の怖さと対峙していくことになると思います。
加えていうならば、勝ってる企業の従業員や勝ち組と呼ばれる人たちは、みんな心穏やかで活気に満ちてるのでしょうか。
一部の人を除き、僕にはとてもそんな風には見えません。更に勝てるように、負けないように、心の余裕を失ってる人の方が多いように感じます。
みんな便利な生活に満足してるけど、みんな幸せかというと、そうではない。
以上、あらためて感じたグローバル資本主義の凄さと怖さでした。
おしまい
毎年寝太郎さんのお住まい近くに行ってきました
今日は相模川の河川敷を散歩してました。
前回の記事では、なんちゃって自給自足を一通り体験した後に、まとまった土地を買えばいいみたいに書きました。
しかし、なんちゃって自給自足を具体的に考えるほど、それなりの広さをもった土地が必要と気づきます。
贅沢かも知れませんが、できれば平塚市内もしくはその近郊でそのような土地があればベストです。
競売サイトをみると、平塚から山梨方向に30分も車を走らせれば、500坪以上の山林、原野、農地が100万円程度で手に入るようなのですが、週1日しか作業できないことを考えると、なるべく自宅に近い方がよいかと。
日本の空き地・空家は今後増える一方ですから、あまりに進展なければ、このテーマはやっぱりしばらく寝かして待ちのスタンスになると思いますが、相模川の河川敷にいくつか私有地かつ遊休地とおぼしき場所をいくつか見つけたので、所有者調べて、ダメもとで話だけでもしてみようと画策中です。
土地探しにこだわり過ぎるとなんちゃって自給自足の実践も先には進みませんから、どうしても話進まなければ、市の家庭菜園を借りてみます。
そのときは、ロケットストーブなどの作成は、河川敷の国の管理する空き地で昼間試みることになるでしょう。
本題に入ります。
今日、相模川の河川敷散歩をするにあたって、2つのゆるい目的がありました。
一つ目は、自宅近くの相模川河川敷に、私有地かつ遊休地がないかを探すこと。
上で書いた話ですね。
二つ目が、毎年寝太郎さんのお住まいの近くにまで行き、可能であれば、そのお住まいを動画にとり、YOUTUBEに投稿すること。
目先の目的としてはむしろ二つ目でした。
ご存知ない方もいらっしゃると思うので、簡単に紹介すると、毎年寝太郎さんは新しい生活スタイル「Bライフ」を提唱され、そのスタイル通り、悠々自適な生活を送られてる方です。
なんちゃって自給自足にあたって、目指すべき新しい価値観の一つは、この寝太郎さんの「Bライフ」かも知れません。
そんな思いもあり、お住まいの近くまで行き、撮った写真がこちらです。
自宅近くだし、普段見慣れてるはずの相模川ですが、なぜかとてもきれいにみえたのをはっきりと覚えています。
この景色とともに生活されている寝太郎さんが羨ましいと、素直に思いました。
思わず座り込み、数分間この景色に見入っていました。
このとき、少し大きな声で話しかければ、寝太郎さんの耳には届く距離にいたのです。
が、僕は小さく会釈だけすると、来た道をそのまま戻りました。その理由が下の二つ。
1、恥ずかしい話、お住まいにアポもなく伺い可能であれば撮影しようとした行為が、とても失礼な行いであることに、景色をみていて気付いたこと。
2、寝太郎さんの生活の魅力はそもそもご本人のブログで満喫できるので、景色の素晴らしさだけ伝えられればよかったこと。
こんな当たり前のことに気付かなかった、いや、気付けてよかったと思うことにします。
この後、寝太郎さんには、ツイートで気持ちだけお伝えしました。
ツイート
寝太郎さん、ありがとうございました。
今日はここまでにします。
おしまい。
見知らぬおばあさんにお金をせびられた話
今日はブログの方針について書くつもりでした。
簡単にいうと、評論家ぶっても仕方ないので、自分でいろいろな自給自足にチャレンジして、その過程をみていただこうかと。
諸般の事情でなんちゃって自給自足は週一だけになりそうですが、早い話僕自身が人口減少社会に適したライフスタイルは何か、模索する実験台となります。
面白そうだし、何より実践が一番。
経験値溜まるし。
過程は随時、YOUTUBEにもUPする予定です。
と、簡単にもう書いちゃいましたが、詳細は次回以降にして、本題は違うこと書きます。
今日の夕方、地元の駅近くの歩道橋を歩いていたら、向かいから歩いてきた見知らぬおばあさんに突然呼びとめられました。
あの、すみません。
とおばあさん。
こちらが立ち止まると、
おばあさん、うるうるした目で
お金貸してもらえませんか?
と言ってきました。
要領を得ずに黙っていると、
バスで帰りたいんです。でもお金がないんです。なので、200円か300円でいいので、貸してもらえませんか。
と言ってきます。
よくみるとこのおばあさん、身なりもちょっと貧相で確かに困ってる様子。
反射的に財布を開き、いくら必要ですかときくと、
300円お願いします。
分かりました。と言ったのと同時にお金を渡す僕。
するとおばあさん、急に小さな声で
どうも
と言いそのまま目も合わせずに立ち去ろうとします。
ここで我にかえる僕。
あの、すみませんがお名前は?
するとおばあさん、
イノウエです
といいまた立ち去ろうとします。
違和感を感じた僕は
あの、連絡先教えてもらえませんか?
ときいてみました。この時点でもちろん、返してもらう気なんかありません。ただなんとなく感じた違和感が何か、確かめたかった。
おばあさんはこう返してきます。
電話が、ないんです。だから、連絡先もないんです。
このとき、僕は頭の中で状況を整理しました。
このおばあさんはほんとにお金ないかも知れない。常にないかも知れないし、今たまたまないだけかも知れない。
あらためて見なりをみると、買い物袋をぶら下げてる様子もなく、どこかで買い物した帰りには見えません。もちろん、何かの会合の後にも見えません。
それなのにバスで帰りたい。
ここで気がつきます。
このおばあさんは、僕にお金をせびってるんだなと。
おばあさんの目をまっすぐに見つめ、何か、おかしくないですか?ときいたら
そうですか
といって、あっさりお金を戻してきたおばあさん。
そのまますっと去っていきました。
小さな痛みですが、僕はこの胸の痛みをしばらく忘れることはないでしょう。
年は恐らく70台半ば、きっとあのおばあさんの人生にはこれまでいろいろあったに違いありません。
辛いこともあったでしょう。努力が報われないこともあったでしょう。
間違いないのは、あのおばあさんには、あの時お金をせびらなければならない理由があった。
もし、それが精神的なものではなく、物質的な困窮を伴ってるのだとしたら。。。
ここから先は考えません。この件を人口減少社会と無理に結び付ける気もありません。
僕の今日の出来事がたまたまだったのか、これからありふれた話になるのか、それは時が進んでから分かることです。
願わくば前者を望みます。
が、後者であるならば、この問題にいつか誰かが向き合わないといけません。
そのためにも、今日の記事で書いておく必要があると思いました。
おしまい。
資本主義ってすごいと思う
資本主義ってすごい。 | |||||||||
こんだけ強烈なエンジンない。 | |||||||||
でもさ、パイの拡大ありきなんですよ。 | |||||||||
ピラミッドにたとえても、風船にたとえてもいいけど、 | |||||||||
全体として大きくなればみんな生活が楽になっていく。 | |||||||||
幸せかどうかは別だし、環境にとっていいかも別だけど。 | |||||||||
このパイの拡大がとまりそうになったらどうなるんだろうね。 | |||||||||
未開のフロンティアがなくなったときって言い方もできるかな。 | |||||||||
資本主義崩壊?違うと思うんだ。むしろ、ここから資本主義の本性が姿を現すんじゃないかな。 | |||||||||
早い話、目に見える形での搾取。 | |||||||||
パイが膨らんでいれば、大部分の庶民にとって、恩恵 > 搾取だから、 | |||||||||
表面化はしないですと。 | |||||||||
で、恩恵 <搾取になっちゃうと、この搾取、目につく鼻につくってわけ。 | |||||||||
でも、このときにはすでに時遅しで、中流階級以下の人たちはほとんど挽回不能な状況に追いやられてる。 | |||||||||
一万人だか、千人だかに一人の割合でのしあがれるけど、 | |||||||||
そんな恵まれた人がいるだけで、お前らの努力が足りないって論破される状況になってるんだよ。 | |||||||||
搾取ってどんなやり方があるかね。 | |||||||||
例えば、政府介して貧しき若者(例外あり)から富める年寄り(例外あり)への | |||||||||
富の移転とか、そんなだよね | |||||||||
個人的には搾取には二パターンある気がします。 | |||||||||
いまの経済的な弱者が、いまの経済的な強者に搾取される。 | |||||||||
将来の経済的な弱者が、いまの経済的な強者に搾取される。 | |||||||||
ポイントは弱者 →強者。この→の流れは変わらない。 | |||||||||
それと、弱者は今も将来もそうなんだけど、強者は今この時点で搾取できる。 | |||||||||
クーデターや革命ないかねって?資本主義で、たぶんないですよ。 | |||||||||
そんな力ある人はね、経済的な強者になって、見下ろすようになるんだよ。 | |||||||||
大衆を扇動してなんてリスクは負わないんじゃないかな。 | |||||||||
で、今の日本はどうなってるか。 | |||||||||
ヤバイです。いまの弱者からの搾取はもちろん、将来の弱者からの搾取もしてるよね。 | |||||||||
将来の弱者には、産まれることすらできない子もたくさんいるけどね。。。 おしまい |
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2030年の日本を語ってみる:就職活動中のたくやくん
たくやくんの場所↓
「ふぅー」
帰りの電車に乗り座席に座ったとたん、ため息とともに肩の力が抜ける。
年が明け2030年になって初めての面接も、やはり幸先はよくなかった。
来月で25歳を迎える。
大学を卒業しすでに2年近く経つが、卒業後2年でそれなりの企業やNPOに就職できた同級生は稀なので、そこまであせってはいない。
国立の有力大学や一流私大ならまだしも、中堅どころの大学卒なんて大体みんなこんなもんだ。
10年くらい前は新卒一括採用なんて慣行があり、大学でたら半分以上がそのまま就職できたらしい。
今は新卒や既卒はおろか、親父と同じくらいの年のおっさん達と椅子取りゲームを繰り返し、若さと熱意をアピールして数少ない椅子を掠め取る時代だ。
旧型のiphone12でスケジュールを確認する。
面接でアピールするために始めた、ただ働き同然のNPOのボランティアをそろそろ再開しなければなるまい。
このNPOのボランティアは彼女であるみさきの紹介で始めた。
みさきはお世辞にもきれいとは言えないが、とても頭の回転が早い。
優秀な人材として、すでにスタッフとして働いており、ちゃんとした給料取りだ。年収も20代半ばにしてすでに400万円を越えている。高給取りといっていいだろう。
みさきだったら10年くらいはあの激務なNPOでやっていけるんだろうな。
給料体系はいま主流の前年の成果に応じて決まる業績連動型だときいた。
年齢は一切関係ないやつだ。
みさきと今の自分の格差を考えると憂鬱になる。
気分転換にネットサーフィンしながらニュースをぼんやり眺める。
為替相場のニュース
1ドル 234.6円と235円を下回り久しぶりの本格的な円高基調
日本の財政再建のニュース
日本が財政破綻し、「ジャパンショック」と呼ばれた世界恐慌から5年経ち、IMFが融資引き上げの準備を開始
日本の高齢化に関するニュース
65歳以上の高齢者が人口の32%。
日本の人口減少に関するニュース
統計局の発表によれば、日本の人口は約1億16百万人。
前年から67万人の減少となり過去最大。
いつものことながら、微妙なニュースばっかりやん。
そういや親父は今日出国だったな。いつものことながら出稼ぎご苦労さんだわ。
親父がいなくなって、また晩飯は家庭菜園でとった野菜炒めか野菜カレーの日々に戻るのか。
夕日を浴びる東海道線の中で、たくやは目を閉じた。
面接で落とされるたび、自分が世の中に必要とされてないかのような気分になる。
働きたい。今年の目標はやっぱり就職だ。
給料激安だけど、幼馴染のユウタと同じ介護でもいいや。
そんなことを思いながら、いつの間にか寝息をたてるたくやであった。
おしまい
国に頼らず、投資家かなんちゃって自給自足。それこそ個人が目指すべきゴール。③
「人口減少社会」が本格するこれからの時代、個人レベルでの基本スタンスと目指すべきゴールは何か。
このシリーズも今回が最後です。
個人レベルでの対策について、このシリーズはあくまで総論に過ぎませんが、次回以降の記事の大枠にあたるものです。
前回に続き、僕なりにだした答えをもう一度書いた上で、目指すべきゴールがどうしてそうなるのか、説明していきます。
-
基本スタンス :国に頼らない。但し、義務は履行し、利用できることは最大限利用する。
- 目指すべきゴール:投資家かなんちゃって自給自足。
しつこく繰り返しますが、この基本スタンスと目指すべきゴールはとてつもなく大事です。
本題に入ります。
前回、グローバル経済における労働者の立場からは脱却を目指すべきと書きました 。
グローバル経済における、というところがポイントです。
この労働者の立場から抜け出したとき、ある人たちはこの世界において「上がり」の状態を迎えます。
ハッピーリタイアできた人たちです。インフレ対策も兼ね、主に保全目的で資産運用を行います。
つまり、この「上がり」を迎えた人たちは、投資家です。もちろん、消費者でもあります。
消費者として切磋琢磨を続けるグローバル経済の恩恵を常に享受しながら、そして悠々自適で自由を謳歌しながら、残りの人生を送る。
羨ましい限りです。こういう人たちの中には、自分でビジネスを始めたり、社会と携わるために労働者であり続ける人もいます。
ですが、それは必要に迫られてのことではなく、「自己実現」のためです。そのため、「上がり」を迎えたけれども労働者であり続ける人を、ここでは労働者として扱いません。
この「上がり」を迎えることが、まず目指すべき目標です。
但し、気をつけなければならない点が一つ。
日本で定年退職し、年金を受給し、その年金に依存して生活している人たちは、「上がり」とは呼べません。
年金に頼るとはつまり国に全面的に頼ることです。
今の年金受給者がすぐに生活に困ることはないでしょうが、中長期的にみて、年金の実質的な減額は不可避だと僕は考えています。
つまり、年金に依存したリタイアは、ここで述べている「人口減少社会において目指すべきゴール」ではないのです。
一度まとめます。
- グローバルな経済の中で、労働者の立場を卒業し「上がり」を迎える人がいる。
- この人たちこそ、人口減少社会において目指すべきゴールの一つである投資家である(もちろん、消費者でもある)。
- 但し、年金依存のリタイアは、目指すべきではない。
労働者を卒業し、国に頼らない投資家になれれば、その後は素晴らしい人生です。
仮に贅沢はできなくても、毎日の充実度が違います。人生が新たに始まったかのような気持ちになるでしょう。
残念ながら、上記のゴールにたどり着ける人は多くありません。むしろ少数派でしょう。
残りの人は、どうすべきでしょうか。
僕なりの答えを言います。投資家の道はあきらめ、消費者の立場を極めるのです。
そして、労働者となる時間はなるべく減らし、お金を払って購入してるものを、できるものから自給自足にしていく。
日本の空き家はこれからもどんどん増えていきます。
探せばそれなりのロケーションでも、ただ同然で借りることができるでしょう。
落ちている枝を集めてロケットストーブ使えば燃料代もかかりません。
野菜なんかは農家のおばちゃんと仲良くなれば食べきれないほどくれます。だって実際余ってるんですから。
本なんてそれこそ図書館にいけばすべてただです。
ベストセラーも時間が経てばブックオフで100円で買えます。
実際、月2万円程度で衣食住満ちたりた生活をしてる人もいるのです。
完全な自給自足や月2万円での生活はちょっと極端だとしても、日本が経済大国であり続ける限り、年間100万円もあれば、充分に生活できるのです。
もし自給自足の手段として釣りや農業もやれば、生活にかかるお金は更に減ります。
こういう生活を選択できる日本の人は、世界的にみても極めて恵まれています。
他人と比べてどうかという競争ありきの価値観から抜け出して、お金をかけずに、自分が満足できる環境を自分で作りにいく。
価値観の転換さえできれば、この環境作りは非常に心地よいものです。
この環境作りを僕はなんちゃって自給自足と呼んでいます。最低限の労働はしなければなりませんが、それは余暇をより楽しく過ごすためのスパイスだと割り切りましょう。
ちなみに、こういう環境作りを個人ではなく、共同体として行うという選択肢もあります。
地域通貨の導入や、地元密着型のNPOの支援など、こちらの方が人口減少社会にとるべき対応として一般的かも知れません。
僕はそれを個人で行ってもよいと思うのです。
むしろ、そういう個人が増えることで、新しい価値観の共同体がどんどん活性化していくはず。
人生は人との競争ではありません。
自分の道を探す旅です。
その旅を終えるとき、
いろいろあったけど、やっぱり楽しかったね、
出会えた人たちありがとう。
そう言えれば、その人にとってよい旅なのです。それでいいのです。
最後にまとめます。
- 投資家になれなければ、消費者を極め、労働者の立場は最低限に留める。
- 日本は恵まれており、その気になれば自給自足に近い生活、なんちゃって自給自足ができる。
- 競争するために生きてるのではない。他人と比較するという従来の価値観を変えていこう。
今日はここまでにします。
課題はまだまだたくさん。書くことには困りません。